2018年1月3日水曜日

鷲田清一「折々のことば」974を読んで

2017年12月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」974では
コラムニスト中野翠の『この世は落語』から、次のことばが取り上げられています。

 いまは「ためになる」とか「役に立つ」以外のものは存在しちゃいけないような
 風潮があるけど、私はそれがどうにも不快なんです

落語という話芸の魅力のエッセンスは、このことばに凝縮されているようにも感じ
ます。だってものの損得勘定や有益な情報とは無縁、あるいはかなり常識とは
外れた法螺話で、お客を楽しませるのですから。

でもその話から時として笑いの中に、反面教師的であったり、客の琴線をくすぐる
ような形で、人情や人としてなすべきものの道理が立ち昇って来る瞬間があるの
ですが・・・。

しかし最近の風潮では落語より漫才が隆盛なのは、古典に裏打ちされた話芸
より、掛け合いの妙によって反射的にすぐに笑える、また複数人で演じるために
目新しい芸や時事ネタが盛り込みやすい漫才が、観客に広く支持されるのかも
知れません。

これも存外話芸の中でも、浮世の憂さを晴らすために即効性があるという意味で
「ためになる」とか「役に立つ」漫才が、一般に受け入れられやすいということで
しょうか?

とはいえ、同じ演目をどの噺家がどういう風に演じるのかということに面白味の
核があり、個人が語るという意味での名人の芸を堪能することが出来る落語の
魅力は、まるでいぶし銀のようで捨てがたいものがあります。

一時関西では目に見えた退潮を囁かれながら、繁昌亭の誕生と軌道を同じく
して、落語人気が盛り返して来たのは喜ばしいことだと、私は心から思って
います。

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