2020年3月13日金曜日

多和田葉子著「献灯使」講談社文庫を読んで

東日本大震災をイメージさせる、大災厄後の日本を舞台にした短編集です。全米
図書賞受賞の表題作「献灯使」が質、分量ともにメインの作品で、圧倒的なイマジ
ネーション力で読者を非現実の世界に誘います。

しかし現実ではないと言っても、それは現実の表層の皮を剥いだすぐ下に存在する
ようなパラレルワールドです。だから読者はあり得ないと思いながら、同時にある
意味リアリティーを感じて、作品世界に引き込まれて行きます。

まずこの特異な世界の特徴は、100歳を超える老人が肉体的にも、精神的にも、
衰えを知らず元気であることです。そのために、彼らが社会の中で生活の担い手と
なっています。

主要登場人物の義郎はそのような存在で、曾孫無名を養っていますが、この設定
は現実にはあり得ないと思われながら、イメージとして現在の日本社会が抱える
問題を、誇張したような作りです。

つまり、少し前まで我々の社会では、無病息災、不老長寿が大多数の人にとって
の人生の理想でした。しかし今日の医療技術の発達、栄養状態の向上は、人々に
想定以上の寿命延長をもたらしました。そのために現在では、自分が想像以上に
長生きしていることに戸惑う老人が増え、また認知症、高齢者介護という、新たな
問題が生じて来ています。

つまり、義郎の生活上の問題は、現代社会の老人問題が更に亢進した状態を、示し
ているとも言えます。

他方、彼に養育される無名が、健康がすぐれず、生きる能力に乏しいということは、
義郎の場合と同様に、現在の少子化を象徴しているのではないでしょうか?現代の
私たちの社会は、若い人々が安心して子供を産めない環境に、なって来ています。
その行き着く先として、生活に適応出来ない子供が、イメージされているのでしょう。
更には、老人が曾孫を養育するという設定は、家庭内の世代間断絶を表しているの
かも知れません。

さて、滅び行く子供たちの希望の星として、「献灯使」に選ばれた無名が、残念ながら
目的を果たせず本作は終わりますが、義郎をはじめ献身的に病弱な無名を支える
温かい人々の存在、また生きる能力が乏しいにも関わらず、自らに課された使命を
懸命に果たそうとする彼の意志に、私は未来への希望を見る思いがしました。

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