2020年3月11日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1746を読んで

2020年3月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1746では
作家、水墨画家・砥上裕將の小説『線は、僕を描く』から、次のことばが取り上げられ
ています。

   失敗することだって当たり前のように許され
   たら、おもしろいだろ?

日本の社会は、村社会の延長のようであって、元来から失敗が許されにくい社会で
あったと思います。つまり構成員の行動が周囲から監視され、また個々の構成員も
周囲の目を気にして、社会集団、家族における上下関係の倫理や、行動規範を守る
ことが絶対の価値であると、考えられているような。

それゆえ私が若い時にも、勿論自分の性格もありますが、何にしても周囲の顔色を
伺い、失敗を恐れるという窮屈さに行動を縛られていた、と思い起こします。

無論今となっては、若さの特権でそんなことを気にしないで、もっと自由に振舞い、
やりたいことをやっておけば良かった、と後悔の念を持って思い返すのですが。

しかし現代のこの国の社会を見ていると、失敗をしてはいけない、道を踏み外しては
いけない、というような雰囲気、気分が、更に充満しているように感じられます。

社会が成熟することによって生活環境が固定化して、一度正規のルートを外れる
ともはや元には戻れないというような危機感、あるいは情報化社会になってSNSでの
交流が盛んになり、格段に便利になった代わりに、かえって互いが監視し合っている
ような実体のない窮屈さに、囚われているといった。

上から押さえつけるような倫理観や社会規範は、随分軽減されたと思われるので、
若い人がのびのびと振舞える環境を、今の社会の中心を担う者たちが整えるように
心がけ、また若い人も、はっきりとした人生の目標を持って、周囲に影響されないで
自分の力をのびのびと発揮することが出来るようになれば、この社会も随分風通しが
良くなると思うのですが、実現はなかなか難しいのでしょう。

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