2019年1月21日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1343を読んで

2019年1月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1343では、ご存知
『徒然草』から、兼好法師の次のことばが取り上げられています。

  この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほど
  の、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞
  きいるべきかは。

雪の朝、兼好がある女人に頼みごとの文を送ると、「書面にこの美しい雪のことを
一言も綴らぬ無粋な人のお願いなど、誰が聞けますか?」という返事が返って来た
と、在りし日のこのいとしい人の言動を、彼が回想している場面の描写だそうです。

詩的な情景が彷彿とされ、しかも匂い立つような優雅な描写です。

兼好もこの女性に気安さがてらに前文を端折った文を送り、彼女もそれを十分に承知
の上で彼に気をもませるというか、思わせぶりで、ちょっと揶揄するような手紙を返し
たのでしょう。無論彼が当代一流の歌人であることを承知の上で・・・。

ところで少々話はずれますが、私なども、書状を綴る時にはやはり必ず時候の挨拶を
書きます。それが慣習や儀礼と考えているためでもありますが、単にそれだけではなく、
自分が今肌で感じている季節の兆候を読み手と共有することによって、相手に共感を
持ってその手紙に記した文章に接してもらう、下準備をするためでもあります。

はっきりとした四季があって、季節の移ろいとともに生きて来た私たち日本人は、
季節感を共有することによって、親近感をも深めて来たのかも知れません。そういえば、
メールに時候の挨拶を綴ることは、ついぞありませんが・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿