下巻も終盤に入り、「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」二つの物語
の関係性が、徐々に読者にも明かされます。でもその前に、この二つの物語の設定、
ストーリー展開の村上春樹らしい特異さ、イメージの喚起力について。
まずどちらの物語も、いつの時代を想定したものかが分かりません。「ハードボイルド
・・・」は、場所は東京ということは明らかですが、時制は小説が書かれた時点に限り
なく近い近未来を思わせるだけで、実際には不明です。
一方「世界の終わり」は、西洋のどこかをイメージさせますが場所は不明。時代に
至っては中世を連想させるだけで、全く不確かです。
このように物語の枠組みは曖昧ですが、その代わりそれぞれが喚起するイメージは
驚くほど豊穣です。「ハードボイルド・・・」は電脳社会を想起させ、ある種の特殊能力
を賦与されたサイボーグに等しい「私」の文字通りSFハードボイルド・ロマンで、主人公
の情報処理能力は今話題のブロックチェーンを連想させます。
他方「世界の終わり」は、中世西洋を思わせる強固な高い壁に囲まれた、本来なら
中に暮らす人々に安らぎが約束された街で、自分の影の示唆により「僕」が禁忌や
自己抑制を断ち切って脱走を試みる物語で、中世を題材とする歴史小説なら、キリスト
教的信仰心や倫理観が人々を精神的に抑圧する原因となるところを、その要因を
現代の孤独や疎外感に置き換えたような、ある意味で哲学的なゴシック・ロマンです。
二つの物語に登場し、主人公を導く女性のキャラクターの共通点、差違も興味深く、
両作品とも主人公は女性に対して精神的に受け身で、温度差こそあれ依存し、行動を
促される存在ですが、「ハードボイルド・・・」では、「私」を𠮟咤激励する老博士の子で
頭の回転が驚異的に速く、勇敢な十代の小太りの娘には、主人公は欲情するものの
セックスは望まず、逆に同年代の聡明ですが平凡な図書館職員の女性には、肉体を
求めます。
「世界の終わり」の「僕」は、彼の仕事場の図書館で彼を献身的に世話する女性に、
精神的な絆を求めます。それはどういうことか?
最後まで二つの物語ははっきりとは交差しませんが、読み終えて私は、「ハードボイルド
・・・」がある人物(おそらく著者)の脳の中の感覚的世界を表し、「世界の終わり」が
精神的世界を示しているのではないかと、感じました。
一見平易なようで、その実一筋縄では行きませんが、大変魅力的な長編小説でした。
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