2022年10月14日金曜日
「鷲田清一折々のことば」2481を読んで
2022年8月28日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2481では
台湾の作家李屏瑤の小説『向日性植物』から、次のことばが取り上げられています。
手に入ったものに無頓着なのに、失ったもの
がいつまでも記憶に残るというのは、人間の
性だ。
この言葉に添えて鷲田は、「人生の時々に、自分が何と出会い、何を得、何を捨てたかは、
ずっと後でしかわからない。ただ失ったものはすぐに気づき、取り返しのつかなさに
うろたえる。」と続けています。
確かに、私たちは喪失に敏感で、今手に入れているものの有難味には鈍感な者でしょう。
そういうことは、枚挙にいとまがないと思います。失って初めて、その有難さに気づくと
いうような・・・。
あるいは、失ったものはずっと余韻を残し、逆に得たものは直ぐに当たり前になってしまう。
私の今回の店舗兼自宅の建て替えにしても、失った古い家屋、その際整理をした大多数は
がらくたの古い品々には、亡き祖父母や父母にまつわる記憶の堆積があり、今でも思い出す
ともの寂しく、ひりひりとした感覚が蘇ります。
では新しく建てた建物については、完成した当座は達成感や、真新しさへの感激はありま
したが、数か月経った今となれば、コロナ禍の影響も残り商売が軌道に乗っていないことも
あって、負担感の方が強くなって来ました。
しかし、商売を継続するという目的で、十分に熟考した上でこのような決断をしたのですか
ら、初心に帰り、もう一度真摯に仕事に向き合って行きたいと、決意を新たにしています。
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