2018年5月21日月曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 葬式の支え合い国内外同じ」を読んで

2018年5月8日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「葬式の支え合い国内外同じ」と題して、筆者が調査して来たエチオピアの村の葬式
事情から、イスラム教徒とキリスト教徒が互いの宗教を尊重し合っている様子を述べ、
更には、親族を亡くした家の服喪の期間には、近隣の葬式組が遺族の世話を行う
習慣が、我が国のかつての村落社会の習慣とも共通することを、語っています。

私などは日々のニュースで、中近東やヨーロッパで、宗教上の対立が激化している
報道に触れない日がないことからも、多宗教の人々が入り混じって暮らす社会では、
宗教上の軋轢はある程度避けられないものというイメージを持ちがちですが、この
エチオピアでの事情に触れると、本来は多宗教の人々が互いを尊重し合う社会が、
自然な姿ではないかと思われて来ます。

さて私たちの国の、特に都市部の葬儀は、最近はもっぱら葬儀場で執り行われる
場合が多く、参列者からは香典を受け取ることを辞退して、親族に対しては葬儀
当日に初七日の法要を合わせて営むなど、葬式の簡略化が進んでいます。

振り返ると私の記憶でも、中学生の頃に母に連れられて行った、滋賀県の都市近郊
の田園地帯の親戚の葬儀では、遺族のために隣近所の人々が集まって朝、昼、晩
の食事を作り、他方喪主は白い裃を着用して、丁寧に一人一人の弔問客に対応し
ながら、感謝の気持ちを伝えていたものでした。

そのことから類推すると、その時代の社会情勢を反映し易い都市部の葬儀では、
遺族に対して奉仕する労力が次第に香典という金銭にとって代わり、遺族の側でも
香典返しの手間を省略するために、香典を受け取らないという方針が主流になって
来ているのでしょう。初七日を葬儀の日に同時に営むということも、親族の時間的
負担を軽減するためなのでしょう。

葬儀の本来の目的である亡くなった人を悼み、困った時の相互扶助としての遺族
への配慮といった習慣が廃れ、人の死を悲しみ、喪失感を抱えた人に心から寄り
添うといった共感力が、今日では希釈化されているように感じます。

もしかしたら、故人を悼む気持ちや、遺族に奉仕する心をお金で代替するように
なったところから、葬式の合理化は始まっているのかも知れません。

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