2018年5月4日金曜日

文月悠光「臆病な詩人街へ出る。」を読んで

詩の世界を巡る最近の事情やウエブ上の話題に疎いので、私は文月悠光という詩人
やその詩を全く知りませんでした。この本を知ったのも京都新聞の書評で、そこに
評されているこの詩人が、現代の社会的に活躍している若者に私がイメージしている
姿よりも、遥かにシャイで生真面目であると感じられ、好ましく思ったので、本書を手に
取りました。

とはいえ、読み始めるまでこの詩人の性別も知らず、そもそもウエブに掲載された文章
を書籍化した本を読むのも初めての体験だったので、正直少し戸惑いながらページ
を繰り始めました。

しかし読み始めてまず感じたのはある意味での懐かしさ、早熟の天才詩人、しかも
うら若い女性と、むくつけき初老の男の自分を比較するのはおこがましく、気恥ずか
しいのですが、人見知りで消極的、何事においても周囲の人に依存し勝ちであった
若い頃の私の心情と、彼女のそれとに共通するものを見る思いがしたのです。

もっとも、彼女は逆境にもくじけない詩人としての才能と矜持を有し、当時の私は情け
なくも、そういうものを何一つ持ち合わせていなかったのですが・・・。

そういう訳で、俄然親近感を持って読み進めることになりましたが、彼女が初体験の
様々なことにチャレンジした心境を告白する本書は、くしくも読みながら私の若かりし
日の苦い思い出を、心に去来させることにもなったのです。

さて共通項もあると私が勝手にシンパシーを抱いている彼女の境涯の中でも、私には
全くあり得なかった深刻な悩みが、この本(元の連載)が生まれる契機となっています。

それはかつて彼女が女子高生詩人として華々しいデビューを飾り、大学進学後も才能
をもてはやされる内に、その流れに身を任せるように詩人の仕事で生計を立てる
社会人になってから、自らの立場の限界を感じて途方に暮れる部分です。

一躍社会的な脚光を浴びて、無我夢中で世間から求められる役割を演じながら、突然
自らの立ち位置が分からなくなる戸惑いは、到底私などの想像の及ぶところでは
ありませんが、健気にも彼女は、それまで詩作に専念して来たことによって欠落して
いた社会体験に果敢に挑戦し、その結果として自らの性格上の欠点に気づき、自らに
課された詩人としての役割、人に訴えかける詩の力を再認識します。

私自身の若い頃の悩みと比較しても、彼女は弱冠その若さで、遥かな精神的財産を
手に入れたと、感じました。

詩人文月悠光のこれからの活躍を、自然に応援したくなりました。

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