2018年5月6日日曜日

鷲田清一「折々のことば」1092を読んで

2018年4月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1092では
作家・澤地久枝の『琉球布紀行』から、沖縄の伝統的な織物「読谷山花織」の復元を
成し遂げた與那嶺貞に仕事仲間の一人が言った、次のことばが取り上げられています。

 さすが学問の力だねぇ

近代に入り、芸術や個人という概念が西洋から導入されて、無名の職人の創り出す
手作りの工芸品に光が当てられ、その作り手に工芸家という自覚を促す端緒となった
のが「民藝運動」なら、その結果としておのずから、工芸家の仕事にも、作品を生み出す
ために学問的な知識が用いられることが多くなって来たのでしょう。

それまでの職人仕事は、師匠から弟子に口伝、あるいは見よう見まねによって引き継が
れ、学問による体系などなかったはずですが、一度廃れてしまった技術を復元するため
に学問的な取り組みが必要となり、更に進めば工芸の諸分野の大勢が、だんだん学校
で学問として基礎を学ぶものとなって行って、今日に至っていると思われます。

師匠と弟子の、寝食を共にする身体的対話を伴う濃密な関係性が薄れ、代わりに
客観的で個を重視する姿勢が趨勢になって来たということなのでしょうが、このことも
近代化の進行と密接に関わっているように感じられます。

そのように考えて来ると、ものの作り手の職人から工芸家への移り行きは、手仕事の
学問化と轍を一つにしているように思われますが、一方上記のことばが発せられた場面、
與那嶺が実業学校で学んだ知識を応用して幻の織物の復元に成功したという事例は、
基礎学力と手仕事の幸福な出会いを感じさせます。

社会において、若者が生きるすべを身に付ける方法として、ますます高等教育が占める
比重が高まって来ていると感じられる昨今、それ故に基礎学力の重要性、学ぶ意欲を
育む教育の必要性は高まっているのだと、このことばを読んで感じました。

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