2017年4月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」733では
陶芸家大樋陶冶斎(十代大樋長左衛門)の次のことばが取り上げられています。
思いが止まらない
この言葉が、89歳の老陶芸家の口から発せられたということに、価値があると思い
ます。
名跡を息子に譲り、すでに功成り名遂げた上で、なおかつ新しい作品を生み出す
意欲も、情熱も、創造性も失わない。それどころか、後から、後から、どんどん新たな
発想が湧き出て来る。
優れた芸術家には、しばしば見受けられることだと思うけれど、私自身にとっても、
そのような老境を迎えられたらと、夢想します。
このような気概や心境は、何かの制作や研究に携わるような、形のあるものを
継続的に生み出し、あるいは追究している人に、比較的訪れやすい心の状態だとは
感じますが、しかし必ずしもそういう人々だけではなく、日常の中で自分の取り組む
仕事を通して、自身の生きる社会的な意味を問い続けることが出来る人なら、同じ
ような精神状態に至ることも、決して不可能ではないと思います。
そのための心の持ち方としては、例えば私の携わる仕事なら、目先の損得勘定に
振り回されず、広い意味で、この業種の存在意義を少しでも高めて行くことに価値を
見出すという気概で、日々の業務に取り組んで行くことが必要であると、思います。
しかし突きつけられた現実は厳しく、なかなか、そのような心境にはたどり着けそうに
ありません。60歳そこそこで、89歳の境遇を思い描くのも、随分とおこがましいこと
なのでしょう。
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