伊藤若冲の生誕300年を記念して催された展覧会です。
近年、若冲の展覧会は色々なかたちで企画されていますが、本展は、彼が18世紀の
自由な気風に満たされた京都の、錦小路の裕福な青物問屋の長男に生まれ、彼の
独特の絵画の魅力が、その地域環境や生い立ちに強く影響を受けていることを、示そう
とするものです。
私がまず本展に好感を持ったのは、展示作品をグループ分けした表題部分に、印象的な
説明文が添えられているだけで、各作品には、作品名など最小限の標記が付されるに
止められていることで、鑑賞者が自由に、ゆったりとした気分で、作品に向き合うことが
出来るように意図されているからです。
というのは、近頃の展覧会では、作品をより良く理解して味わってもらうために、各作品に
長い説明書きが付けられていることが多く、それはそれで余りなじみのない作者、作品の
場合には一助となりますが、ともすれば説明に気を取られて、肝心の作品をじっくりと観る
集中力が鈍ることがままあると、思うからです。
殊に若冲の作品の場合、私には見慣れたものも多く、本展のようにいちいち説明書きに
囚われずに観るのはかえって新鮮で、自分で新たな魅力に気付くことも出来、また彼の
発想の自由さ、絵の奔放さを示すことを、一つの大きなテーマとしているこの展観にとって
も、相応しい展示方法と感じられたのです。
そういうことで、私が以前に観たことのある作品に新たな魅力を感じ取ったものとしては、
先日細見美術館で観た水墨画の数点があります。「花鳥図押絵貼屏風」や「鶏図押絵貼
屏風」は、細見美術館のこじんまりとして親密な空間で観た時も、十分惹きつけられました
が、本展の広い展示室で屏風に左右を囲まれるような状況に身を置いて観ると、構図の
大胆さ、筆致の力強さ、繊細さ、対象の捉え方のユニークさや、そこはかとないユーモアが
さらに強調されるようで、より強い印象を受けました。
また初めて観た作品としては、やはり水墨画の「象図」に感銘を受けました。決して小さく
はない軸中の画面に、収まり切らずはみ出すように描かれている象。それでいて、身の
置き場がないように、申し訳なさそうな縮こまった姿勢でじっと佇んでいます。若冲の絵を
描くことが好きでたまらないという思いが、にじみ出ているような作品でした。
このような画家がこの地に生まれたことを、何か少し誇らしく感じました。
(2016年10月8日記)
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