2018年6月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1122を読んで

2018年5月28日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1122では
生命誌研究者中村桂子の『科学者が人間であること』から、次のことばが取り上げられて
います。

 速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。・・・・・・ありがたいことですが、
   困ったことに、これはいずれも生きものには合いません。

今日の科学技術の発達、高度情報化社会の到来は、合理的な意味での人間生活には
便利で、素晴らしいことですが、私のような古風な人間には、戸惑うことも多々あります。

例えば、飛行機や新幹線で遠隔地に移動できることは、ずいぶん利便性が高いと感じ
ますが、反面目的地へ到達するまでの過程の楽しさ、目的地で宿泊しなければならない
ことによるその地の印象深さや、目的を果たしたこと自体の充実感が、かなり薄められる
と感じます。

また飛行機の離着陸、新幹線が高速ですれ違う時、あるいはトンネルに突入する時など
に一瞬感じる胸騒ぎは、このスピードが人間の身体の許容量の限界ギリギリであるため
に、このような不安が芽生えるのではないかとさえ、感じます。

さらには、パソコンやスマートフォンで瞬時に手に入る情報は、大変便利で、私もついつい
頼ってしまい勝ちですが、その手段で得た情報は、位置情報やイベント情報など、客観性
の高いものを除いて、本当に額面通りに信じて良いのか、懐疑的にならざるを得ない場合
も、多々あります。

またそのような方法で得た情報に、何か温もりのない、薄っぺらなものを感じ、充たされ
ない気分に囚われることも、しばしば思い当たります。

私が仕事柄関心を持つ、伝統工芸品と工業製品との違いにも、この感じは当てはまり、
工業製品の利便性、スタイリッシュさに、手作り品は到底かないませんが、その代わり
そこには人間的な温もりが宿り、使うほどに体や手に馴染む趣きがあります。

手作り品には、上記のことばと逆の作用が働いているのでしょう。


 

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