2018年6月14日木曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 村人の顔 浮かぶコーヒー」を読んで

2018年6月5日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「村人の顔 浮かぶコーヒー」と題して、調査でエチオピアを訪れる筆者が、出発する
時にはスーツケースに現地の農民の家族に喜ばれる古着をたくさん詰め、帰りには
お礼にもらった手作りのコーヒー豆や、森でとれた蜂蜜を詰める様子を記して、それに
比べて私たち日本人が、ものを大切にすべきことや、消費する品物がどこから来て、
使用後どう処理されるかについて、余りにも無頓着である現状を語っています。

確かに、戦後余り時を経ない私の幼少の頃には、まだ洋服は貴重品で、父親の服の
着古しを母が利用して私のズボンを作ってくれて、私が得意げに着ていたことを、記憶
しています。

また日本の伝統衣装である着物は、何度も更生して着用することを前提として作られて
おり、直線裁ちで仕立て直しが容易であるという特徴を持っています。

その特徴に合わせて、着物の再更生に携わる和装業界の職種も多く存在し、悉皆や、
貸し見本や、小紋染めや、洗い張りや、練りや、染み落としや等、幾つも挙げることが
出来ます。和装が日常であった時代、私たちは自分の着物を長い年月大切に着用して
いたことが分かります。

他方私たちは現在、食料品をコンビニやスーパーなどで購入し、それが一体どこで産出
されたものであるかを知らず、またゴミとして出したものがどういう経路をたどって処理
されるかを知りません。

私の店並びに住まいの地区には、昔から洛北地域の農家が直接朝に取れた野菜を
売りに来るという慣習があり、私たちもよく購入していますが、そうして手に入れた野菜
は、生産者の顔が直接見え、その季節にふさわしい旬の品なので、安心しておいしく
食べています。

便利さや効率性の優先の裏で、私たちが忘れてしまった大切なことが、色々あると感じ
ます。

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