2018年6月18日月曜日

夏目漱石著「草枕」新潮文庫版を読んで

朝日新聞朝刊の一連の連載以来、久しぶりで漱石作品を読みました。初期の作品
ですが、クリエーターなどでこの作品が漱石の中で一番好きと言っている人も多い
ので、一度読んでみたいと思っていました。

さて、ページを開いてみると、彼の深い漢詩、漢文の教養に裏打ちされた饒舌体の
美文のとめどない羅列で、正直面食らうと共に、私自身漢文の素養がないので、
巻末の夥しい数の注解とにらめっこしながらの、たどたどしい読書となりましたが、
本書を読んで漱石作品の文体の独特のリズムが、漢詩の影響によって作り上げ
られていることを再確認し、また私にとって初体験と言ってもいい、漢文からなる
詩的表現の独自の透徹したみずみずしさを、知ることが出来たと感じました。

そして何より、少々くどいとも思わなくはない描写の連続の最後に立ち現れる、
文章表現の生み出すカタルシス!これについてはもう一度、最後に触れたいと
思います。

本書の描き出す場面描写の中で、最後以外で特に強く私の心に残ったのは以下の
二点です。

一つは主人公の画工が入浴している風呂場に、一糸まとわぬ若く美人の宿の出戻り
娘那美が足を踏み入れる場面。湯から発生した蒸気の煙に包まれて、仄かに浮かび
上がる彼女の形が良い裸体のシルエットの詩情を湛えた美しさ。そしてその裸身が
画工の眼前に現れる直前に、彼女が高笑いをしながら引き返し、風呂場を出て行く
というエキセントリックさ!

那美の画工への挑発とも取れるこの描写は、一歩間違えば茶番に陥る危険を
逃れて、詩的情景を現出しています。

もう一点は宿の主人の茶会に誘われた画工が、その席で相客の観海寺の和尚と
共に、主人自慢の端渓の上質の硯を鑑賞する場面。本物の美を見極める能力を
有した人物が集って、優れた骨董品を愛でる情景の優雅さを、見事に描き出している
と感じました。

さて最後の場面に戻ります。美しく充分魅力的なはずなのに、画工が肖像を描くには
何か物足りないと感じていた那美の顔貌が、いとこの外地への出征を見送りに来た
停車場で、思いがけなくいとこと同じ汽車に乗っている別れた元夫を見かけて、憐憫の
情に歪む場面。画工はその顔色の微妙な変化を観て、本当に絵を描きたいと感じます。

ただ単なる人間の外形的な美だけでは不十分で、それに情緒が付加されて初めて、
絵画や文学の対象となりうるということを、漱石は語っているのだと感じました。

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