2018年6月20日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1138を読んで

2018年6月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1138では
第76期名人戦で立会人を務めた将棋の森九段が語った、次のことばが取り上げられて
います。

  感想戦は負けた側のためにある。

将棋の対局後の感想戦は、たまにテレビで目にするぐらいですが、このことばを読むと、
その深い意義の一端が感じ取れます。

確かにその勝負に負けた人が、敗因を勝者と一緒に検証することは、敗者にとって
負けた理由を知り、自分の技量を向上させるための最良の方策となるのでしょう。

そういえば将棋とは畑違いですが、かつてプロ野球の名選手で、監督としても名将と謳わ
れた野球解説者が、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、と語っている
のを聞いたことがあります。

つまり思いがけない幸運によって偶然に勝つことはあるけれど、負けた時には必ず明確
な敗因があるという意味で、強くなるためには勝利におごらず、敗因をこそ検証すべきだ、
ということです。この格言は、勝負一般に当てはまることなのかも知れません。

更には、勝者が敗者の心情に寄り添うという点でも、感想戦で負けた人を優先させる
意味はあるでしょう。

互いに知力や技量を尽くした攻防の後、互いの健闘を讃え合う。その時に勝者の側から
敗者に近寄り、相手をねぎらうという姿勢は、その勝負の後に爽やかな余韻を残すの
でしょう。

敗者への敬意、いたわりこそ、その競い合いに格調を添えるに違いありません。

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