私が本書を手に取ったのは、私自身が還暦を過ぎて最近とみに、私たちの暮らす
現代社会が、死や生という生物である人間が本質的に背負うものを包み隠し、
あるいは、商品化して表面的、形式的に取り扱おうとしていることに、違和感を感じる
ようになって来たからです。そのような社会を覆う雰囲気は、人生も終盤を迎えた
人間に、何とはいえぬ寂しさを感じさせずにはおかないのです。
また本書のタイトルからも察せられる、性と食を結びつける思考というものも、両者が
我々の宿命的な生の営みの中でも、慣習的にネガとポジの役割を果たさせられて
いる行為でありながら、本質的には直結した関係を持つことを明らかにすることに
よって、人間の失われた野性を掘り起こそうとする試みであることに、大きな魅力を
感じたからです。
さて本書は、民俗学者の著者が我が国、世界の神話、民話から最近の科学的研究に
至るまで丹念に目を通して、人間の性と食の本然的な結びつきを明らかにしようと
するものです。
積み重ねられた論考の中で、私の心に残ったのは3点。まず1点は、中村桂子著
「生命誌とは何か」を巡る、生命誕生の歴史の科学的考察から、生物の生死と性の
結びつきを論じる部分で、原始的存在である単細胞生物には死がなく、多細胞生物に
なって初めて死が生まれる。多細胞生物では個体は死を迎えながら、生命を受け
継いで行くために、生殖活動を営むということです。
正に科学的事実から生と死と性の不可分が説明され、それに引き続き著者は、
各地の創世神話の中に、生物進化との関連性を探ります。文明化以前の人類の
本能的な智恵や直感があらわになるようで、スリリングでした。
2点目は、仏教の教化のために、我が国で一時盛んに描かれた「九相図」の生々しさ
について。これは一人の人間が死に、白骨化するまでを克明に描写し、人の世の無常、
凄惨さを示すことによって、煩悩を断つ必要を教えるための図ですが、そのリアルさを
演出するために、かえって、生と死と性の深い結びつきが図上に現出することが、
感慨深く感じました。
最後に死者に切り花を手向ける行為が、植物の生命を絶ち、その生殖器官である花を
死者に差し出すという意味で、供犠の役割を果たすという記述。死者に花を供える
ことの本来の意味が、実感として理解出来た気がしました。
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