2022年2月1日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2267を読んで

2022年1月19日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2267では 作家・姜信子との往復書簡『忘却の野に春を想う』から、歴史社会学者・山内明美の次の ことばが取り上げられています。    季節の暮らしをしてみること、それがきっと    人間の骨格をつくっていくんだ 私も現在、店舗兼自宅の建て替えのために、マンションで仮住まいをしていて、このことば の語るところの意味を、痛切にかみしめています。 私の元住まいは、京町家であったために、老朽化して隙間風が吹き込み、敷地内で建物が 分散して建っていたいたために、冬寒く、仕事をするにも、生活するにも、決して効率的で も便利でもありませんでした。 その代わり、所々にある坪庭や建具の夏、冬に向けての交換が、季節の移ろいを感じさせて くれましたし、行事に即した設えの準備、床の間の掛け軸の交換、店の前や土間、庭や離れ の掃除などの日々の雑務が、日常を過ごしている実感を与えてくれました。 ところがマンション住まいでは、これらのことを感じたり、したりする暇や必要が全くなく、 何か生きているという実感がとても希薄なのです。 慣れればおしまい、かえって負担が少なく、楽である、と言えばそれまでですが、私には これらの諸々がなくなることがとても寂しく、張り合いがなくなるように感じられてなりま せん。 そしてこのような季節の感覚や雑務が、これまでは確実に、私という人間を形作ってきたと 思うのです。新しい家が出来たら、前とはかなり住まい方が変わりますが、どのように折り 合いを付けて行くか、それがもっぱら、現在の懸念材料の一つです。

0 件のコメント:

コメントを投稿