2017年9月1日金曜日

高橋和巳著「悲の器」河出文庫を読んで

読者が本書に興味を持つことが出来るかどうかは、ひとえに我が国の最高権威の
官立大学の教授で法学部長、刑法学の重鎮である主人公正木典膳の心情に共感
出来るものがあるかどうかに、掛かっているでしょう。

彼がもしその肩書が当然のようにもたらす輝かしき晩年を迎えて行くなら、私も
きっと、この長大な物語をあえて読み進めたいとは思わなかったはずです。

しかし一見非の打ちどころなく見えた彼のキャリアが、女性問題の醜聞でものの
見事に瓦解する時、私たちは彼の悲哀の中に、人間が存在する限り免れることが
出来ない、生きることの宿命的な業苦や罪科を感受するのです。

では一体、彼の何がいけなかったのでしょう?彼は自らの学問の専門分野に
おいては極めて有能で勤勉な人間で、学術的に輝かしい成果を上げると同時に、
第二次世界大戦前夜、戦中の厳しい思想統制を潜り抜けた中で、戦後の社会の
在り方についていかなる場合も、法律の本来持つ精神を遵守するという意味に
おいて良心的な人物です。

また大学、法曹界の中でキャリアを積んで行くことについても、大学で学問の
自由が守られない前述の戦前、戦中期には、検察官に転じて難を逃れ、戦後また
大学に復帰して法学部長に上り詰めるというように、極めて機を見るに敏な世渡り
にたけた人間です。

しかし若かりし時同じ教授の下で研鑽した同僚で、戦時思想統制の渦中に過激
思想に走り獄死した富田と、獄中転向して戦後保守与党寄りの教育委員長として
日教組、学生と敵対の上自殺した荻野に対して、自身の身の処し方から来る後ろ
めたさを忘れることが出来ず、その裏返しとして自分の地位の名誉に固執する傲岸
さが、彼の権威の失墜の引き金を引くことになります。

他方彼は、現代の感覚からすればかなり女性蔑視の考え方の持ち主で、女性に
対して自らの経済力で庇護し、付き従わせるものという先入観があります。また付け
加えれば、作中の女性たちはその立場を甘受する傾向にあります。しかし家政婦の
米山みきにとって、その寛容の限度を超えた時に、彼の破滅は始まるのです・・・。

この小説は壮大なスケールで、敗戦後の急激な価値転換の中での知識人の苦悩を
描き、多少の瑕疵や不自然さは見られますが、圧倒的な筆力でぐいぐい読者を引っ
張って行きます。

さらに現代の社会情勢と比較しても、安保関連法案を巡る解釈改憲の問題、テロ等
準備罪の新設についての議論などの法政分野のみならず、富田の獄中での狂気が
オーム真理教の教祖の成れの果ての姿を想起させるなど、執筆後50年を経過しても
社会や人の思惑や行状はあまり変わり映えしないものであることを、示してくれます。

先見の明も含む、問題作です。

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