2017年9月13日水曜日

鷲田清一「折々のことば」872を読んで

2017年9月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」872では
フランス文学者鹿島茂の「子供より古書が大事と思いたい」から、パリの古書店の
客対応について述べる、次のことばが取り上げられています。

 愛想のないのを悪意のしるしと取ってしまうのは誤りである。

店の客対応の良し悪しも、業種によって違うと思います。例えばラーメン店は
テキパキとして、客さばきが迅速であるのが好ましく感じられますし、デパートでは
店員につきまとわれるのは煩わしいけれど、こちらが商品について尋ねたい時
には、すぐ近くにいて迅速で、丁寧に対応してもらえるのが有難く思います。

でも確かに相対的には、店の人間があまりに無愛想で不親切であるのは、客に
不愉快な思いをさせますし、逆に愛想や調子が良すぎるのも、何を考えている
のか分からず、不信感を抱かせます。

私たちの店では、取り扱っている品物が白生地という素材商品で、その上に加工を
施してから用いられるのが普通なので、そのままの状態では見えにくい品質に
ついて、丁寧に説明することを心掛けています。従ってお客さまに安心を与え、
納得して頂けるような、ゆっくりと時間をかけた落ち着いた対応が相応しいと感じて、
実践しています。

ところで自分の仕事を離れて、日本では一般的に、まだ店と客の関係において、
客側に買ってやっているという意識が強く、店側もそれを過剰に意識しなければ
いけない雰囲気がある、と感じられることがよくあります。

上記の鹿島のことばには、そんな日仏の比較が含まれているのでしょう。私たちの
国でも、売り手と買い手は対等の人間という意識が醸成出来れば、もっと風通し
が良くなるのかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿