2017年9月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」863を読んで

2017年9月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」863では
ファッションデザイナー三宅一生の「三宅一生 未来のデザインを語る」から、次の
ことばが取り上げられています。

 ぼくにとってデザインがおもしろいのは、すぐに受けいれられるのではない、という
 ことがあります。

かつてこの日本を代表するファッションデザイナーの回顧展を、京都国立近代美術館
で観ましたが、至ってシンプルでありながら、斬新な発想の転換があり、そこから
無限の広がりが生まれて来そうな予感に、わくわくさせられるようなデザインが次々と
登場して、白昼夢のような感覚に囚われました。

そのデザイナーがこのように語ると、ズシリとした説得力があります。

一方私の携わる和装業界には、伝統的な衣裳としての着物というものが、最早忘れ
去られつつある服飾文化といったイメージが、蔓延しつつあります。

それはとりもなおさず、多くの人々にとって、和装というものが現代の社会生活には
馴染まず、成人式や卒業式といった特別な場面を除いて、普段は受け入れ難いと
感じられているということでしょう。

でも他方、文化の欧米化が進展して、生活の利便性が向上するにつれて、その反動
として伝統的な文化や生活様式を見直したいと感じる人々も、確かに少なからず存在
します。

もし和装を愛でる土壌が全く失われたのではないなら、また受け入れられる可能性も
有るということです。私たちは自分たちの仕事を通して根気よく、和装の良さを伝えて
行かなければならない。逆説的かもしれませんが、上記の三宅一生のことばに、そんな
励ましを受け取る思いがしました。

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