2014年11月14日金曜日

フローベール著「ボバァリー夫人」を読んで

19世紀フランス文学を代表する恋愛小説です。

恋に恋する美しい人妻エマの奔放な恋愛遍歴と、その果てに自らの人生を
破滅させる様を描きます。夢と愛に生きるエマは魅力的で、彼女の
喜怒哀楽が精緻で客観的でありながら、詩情豊かな表現の積み重ねの中に
描写されて、ページを繰る者は荘厳な白日夢の中を彷徨い、ようやく
抜け出して来たような読了感を味わいます。

エマの抑えきれない熱情に、時として理性では対処出来ない人間の欲望の
性を感じますが、読み終えて一番私の心に引っ掛かったのは、彼女の夫
シャルルの何が、美しい妻を無軌道な生活へと貶める要因となったのか、
あるいはシャルルに一体彼女に対する罪はあるのかということでした。

私にヒントを与えてくれたのは、二人に子供が授かり、エマが再び夫を
愛する努力をする場面。シャルルが薬剤師オメーに勧められて、足の
不自由な村の旅館の下男に最新の矯正手術を行い、結果無残に
失敗をして下男は片足を失うことになります。エマは新しい治療に積極的に
取り組もうとする夫に頼もしさを感じ、失敗後の彼の狼狽と卑屈に、一層
幻滅を深めます。

またシャルルは、妻の不貞に気付くチャンスはいくらでもあったのに、あえて
目をつむり、現実を見ないように務めました。家政は一切妻に任せ、家計の
財政的危機にも無頓着でした。この事実は彼自身が自分の一方的な妻への
愛情に酔いしれる、呑気で夢想家の男であったこと示しているのかも知れません。

ボバァリー家の悲劇は、多情多感な妻と彼女を御することの出来ない内向きで
非現実的な夫の相乗効果によって引き起こされたと感じられます。

人はそれぞれに夢や幸福を追い求めながら、現実は往々にままならぬものです。
その世知辛い世の中で、成功を収めるのはオメーに代表される利にさとい
狡猾な人間です。この人生の不条理をこそ、フローベールは読者に語り掛けた
かったのではないでしょうか?


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