2022年9月16日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2410を読んで

2022年6月16日付け朝日新聞朝刊、「「鷲田清一折々のことば」2410では 『伊勢物語』の最後に引かれる、歌人在原業平の次の歌が取り上げられています。    つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふ今    日とは思はざりしを これを現代語に訳すると、いつか最後に歩む道だとは前から聞いていたが、まさかそれが 昨日や今日だとは思いもしなかった、ということだそうです。 人は誰しも、必ず死を迎えるものですが、それがいつだかは分からない。しかしある日、 予期せぬ事故や病気を患い、思うように動けなくなったり、寝たきりになったり、そして 思いがけぬ時に、生が途絶えるということもままあるものです。 そういうことを、昔の人は無情と言ったのでしょうが、現代は医療技術の発達や社会環境 の安定によって、死というものが余計に見えにくくなって、それに伴い私たちも日常的に 意識することが少なくなって、その結果死を制御出来るもの、人生はある程度思い通りに 設計出来るもの、といった感覚を抱くようになっていると感じます。 しかし本質的に人間は生き物であって、死はいつ訪れるか分からない理不尽なもののはず です。私たちはその根本的な感覚を決して失わず、与えられた時間を精一杯生きるべきだ と思います。

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