2020年8月3日月曜日

吉田秀和著「之を楽しむ者に如かず」を読んで

吉田が「レコード芸術」に連載したクラッシック音楽評、レコード評をまとめた本です。

私が彼の文章を好きになったのは、新聞のコラムや美術評論を読んでのことで、その
博識、思考の柔軟さ、語り口の柔らかさに魅せられたからです。

それゆえ、ジャンルの違う本書も手に取ってみましたが、正直私は、クラッシック音楽
のレコードをたまに聴くぐらいで、音楽の基礎的な知識もありません。従って、この本
について論じるには完全に役不足ですが、以下素人なりに本書からくみ取れたことに
ついて、書いてみたいと思います。

この本の表題は、連載期間に合わせて全体を二つに分けた、第一章の題名から採ら
れていますが、その章の第一節「変わるものと変わらないもの」に、表題の由来の
説明があります。

つまりこの題名は、『論語』の「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を
楽しむ者に如かず。」から採られていて、「之」を「音楽」とすると、音楽を知るだけより
は好む方が良く、更には、好むよりも楽しむ方が味わいが深まる、ということになり
ます。この表題に従って吉田は、単に音楽が好きというにとどまらず、楽しむための
方法を本書で語って行きます。

その解説は、楽譜を添えて説明するなど専門分野に及ぶので、私の理解を超えます
が、感覚的に分かる範囲のことを以下に記すと、例えば「モーツァルトとは誰か?」の
節に、彼が語ろうとすることのニュアンスが比較的平易に示されています。

すなわち、モーツァルトの音楽を聴くにしても、同じレコードを聴き続けているだけでは
飽きてしまう。ソナタから協奏曲、交響曲からオペラと色々な楽曲を聴かなければ、
この作曲家の輪郭をつかむことが出来ない。

しかしこれだけではまだ不十分で、演奏家、指揮者を違えて聴けば、それぞれの解釈
によるモーツァルトを知ることが出来、また時代時代の演奏スタイルや傾向、楽器の
種類、選択などを加味して聴けば、彼の作曲当時の楽譜や実際の演奏がどのような
ものであったかを推測し、現在のそれとを比較分析して、作曲家モーツァルトの相貌を
より深い次元で明らかにすることが出来る。

それに付随して吉田は、作品が古い時代に作曲された楽曲であっても、当時の演奏を
再現することが理想である訳ではなく、その時代、その時代に相応しい演奏があり、
才能ある演奏家は、時代に即して常に新しい演奏スタイルを生み出して行かなければ
ならないと、語っています。

音楽への愛が、あふれる本です。

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