2020年8月28日金曜日

赤坂憲雄著「ナウシカ考 風の谷の黙示録」を読んで

私が『風の谷のナウシカ』に初めて触れたのは、若い頃に観た映画でした。従来の
アニメ映画には見出されない、主人公ナウシカの健気な可憐さ、物語の壮大な
スケール、王蟲、巨神兵、腐海といった環境破壊、核戦争を想起させる、豊饒な
イメージに一気に魅せられたのを、つい先日のことのように思い出します。

余勢をかって本屋で見つけたマンガ版『風の谷のナウシカ』全巻を読み通しました
が、そこで初めて、映画がこの長大な物語の一部から構想されたものに過ぎな
かったこと、マンガ版は映画に比べて、遥かに深い哲学的思索を内に含んでいる
ことを、知りました。

しかし当時の私には、この物語の真の意味を理解しようとしても到底歯が立たず、
そのまま打っちゃって今日に至っています。

そこで本書「ナウシカ考」です。著者赤坂憲雄には、「性食考」を読んで、その深い
民俗学的知見に裏打ちされた、鋭い日本文化論に感銘を受けたこともあって、彼が
ナウシカの重厚で難解な物語をどのように読み解くかは、大いに興味のあるところ
でした。

本書の冒頭では、著者自身もこの物語が容易に読解出来るものではないことを、
素直に吐露しています。そしてその大きな要因として、作者宮崎駿が最初からこの
物語の全体を構想して書き上げたのではなく、作者自身も、作品の主要な登場人物
がそれぞれ勝手に考え、行動するのに合わせて、ストーリーを組み立てて行った
からである、と分析しています。

その分析は正に的を射たもので、例えば週刊誌のマンガ連載などでは、マンガ家
は往々に物語の結末から逆算して、予定調和的に筋を決めるのではなく、話の流れ
に沿って次々にストーリーを生み出すという手法を取っていると思われますが、宮崎
の場合、普通のマンガ家とは並外れた哲学的思想やイメージの構想力を所有して
いるために、流れに沿ってストーリーを生み出しながらも、完結した作品は、
大黙示録の相貌を呈するのでしょう。

さて紙幅も少なくなったので、ここここで結論を述べると、赤坂は物語の最後に、
ナウシカは終末的世界において、神のような超越的存在による人間の救済を求め
るのではなく、罪深く汚れた存在としての彼女を含む人間自身が、自らの未来を
切り開く道を選択したと述べています。

過去に比べて、人々の宗教意識が格段に希薄になった現代社会で、私たちが如何
に生きるかの新しい指針を求める場合、この物語の示唆するものは、重要な啓示を
含んでいるのではないか?本書を読んで改めて、『風の谷のナウシカ』の深甚さと、
宮崎駿の天才性を知った気がしました。

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