2020年9月21日月曜日
黒川創著「鶴見俊輔伝」を読んで
戦後日本を代表する思想家の一人、鶴見俊輔の評伝、大佛次郎賞受賞作です。
鶴見というと私がまず思い浮かべるのは、思想の科学の刊行とべ平連の活動で、思索の人というよりも、
行動する思想家のイメージがありました。また、同志社大学の教授を勤め、後半生の居住地でもあった
京都との縁も深いものがあります。それゆえ、親近感のある存在に感じられて、迷わず本書を手に取り
ました。
幼少期から最晩年までを跡付ける、本格的な評伝である本書を読むと、彼の思想が形成される上で、
第二次世界大戦前、戦中のアメリカ留学、日本への引き揚げ体験、一転海軍軍属としての戦争参加が、
大きな影響を持つことが分かります。
この一連の体験によって彼は、自由と民主主義に基づくアメリカの大学の教育システムの利点と、反面
資本主義的覇権国家の負の部分を学び、帰国後は、戦争と日本軍国主義の愚かさを思い知らされたの
です。
それゆえ戦後の彼の思想活動は、日本に民主主義を根付かせるために、民衆に思考と行動を促す啓蒙的
な言論活動と、反戦平和主義運動が、中心となったのです。
また彼が、戦後社会に深く関わる活動を行いながら、あくまでリベラルな在野の立場を貫いたところ
にも、彼の生い立ちと共に、この影響が感じられます。彼には、多感な時期に日米両交戦国の戦時下を
体験したまれな知識人として、あるべき戦後の日本の姿が、思い描かれていたに違いありません。
また戦後の日本が、政治的にも経済的にも、大きくアメリカに依存する体制になったことも、彼が国民
の目線からこの国の真の自立を志す契機となったはずです。
ベトナム戦争の最中、脱走米兵をかくまい、海外に逃亡させるべ平連の活動は、日米安保体制の下で、
アメリカ政府は言うに及ばず、その影響下にある日本政府に対しても、非暴力のレジスタンス活動で
あったでしょう。
しかし、その活動を多くの日本国民が支持し、後年にはアメリカでも反戦運動が高まる中で、日米両国
の民衆が認識を共有する、意義ある活動になったのではないでしょうか。
このように、大衆が自ら考え行動し、より良い社会体制を生み出そうとする運動に先鞭をつけ、結果と
して、まだそのような社会は誕生してはいませんが、少なくとも、その可能性を示してくれたところに、
思想家鶴見俊輔の最大の功績があったのではないでしょうか。
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