2020年9月3日木曜日

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「砂の本」を読んで

ガルシア・マルケスの小説を通して、マジックリアリズムと呼ばれる、ラテンアメリカ文学に目覚めた時から 興味を持っていた、アルゼンチンの文学者ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集をついに読みました。 やはり幻想的で、独特の肌触りの短編が並んでいて、ここでは特に印象に残った、数編を取り上げます。 まず、この本の題名にもとられている「砂の本」のパートから、冒頭の作品『他者』。この小説は、1969年 2月、70代の老齢に差し掛かったボルヘスが、アメリカ、ボストンのとある川岸で、当時スイス、ジェネーブ にいたはずの20歳に満たない彼自身に、めぐり逢い対話する物語です。 ここで歳を隔てた二人は、互いの思想信条や文学観を巡り、意見を述べ合います。同じ一人の人間が持って 生まれた資質は保ちながら、年の経過と共に如何に考え方を変えるのか、そして若い彼が老齢の彼を受け入れ ることが出来ず、老齢の彼が若い彼を受容するところに、単に1人の人間の年齢による変容だけではなく、 時間そのものの性質の一端を見る思いがしました。 次に同じく「砂の本」の中から『疲れた男のユートピア』。この物語は、著者自身と思われる主人公が、数千 年後の世界に迷い込んで、未来人と対話する物語です。 その未来世界では、人々は共通語としてのラテン語を話し、政府も都市も博物館、美術館もなく、個人が独立 した自給自足の生活を送りながら芸術、思索にいそしみ、限られた本を繰り返し読み、百歳になると自らの 生死を自分で決定して行動するということで、この物語は、人間に欲望が全く消失した世界を描いていると 思われますが、我々人間の社会活動の本質を暴いているようでもあります。 最後に、世界各地の悪人の行状を短くまとめた「汚辱の世界史」から、『真とは思えぬ山師トム・カストロ』。 イギリスの貧民街で生まれたさえない主人公が、南米での生活を経て、頭のきれる相棒の手引きで、亡くなった イギリス貴族の跡取り息子に成り済まし、彼を可愛がった貴族の母親の死後、相棒も事故で突然失って、悪事 が露見する話。 この物語では、主人公たちは人を騙してはいますが、欺かれた母親はその事実を知らず、あるいは知っていな がら受容していて、当事者に被害をもたらしていないという点において、罪のない事件と思われます。著者の 皮肉交じりの、それでいて人間への根本的な愛情が感じ取れる語り口が、人間の心情の複雑さを、あぶり出し ます。

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