2020年10月27日火曜日
小暮有紀子著「タイガー理髪店心中」を読んで
表題作で第4回林芙美子文学賞を受賞、この作品で作家デビューした新人の初の著書です。しかし、
新人作品の新鮮さのみならず、その研ぎ澄まされた独特の感性と描写法に、思わずのめり込みそう
なほど、引き込まれました。
本書所収の2編に共通するのは、変わらぬ日常を営む老齢の夫婦の間に、ふと兆す心の闇を読者に
のぞき込ませることです。そしてその闇の中には、夫婦の根幹をなすものが隠されていることです。
「タイガー理髪店心中」は、二人で理髪店を営む高齢のおしどり夫婦の妻が、認知症を発症する
ことを契機として、子供の頃に事故で失った一人息子への哀惜の念を蘇らせ、その過程でこの事故
の原因を作ったのが夫のある行為であることから、夫婦の長年心に秘め鬱屈させていたものが、
一挙に白日の下に晒される話です。
ここで重要なのは、妻がとった常軌を逸する行動は、あくまで日常の精神状態を離れたところに
発するものであり、読者は、ここにあたかも死んだ息子が母を呼ぶような不気味さと、一方、妻の
潜在意識の中に長年堆積して来た、夫へのやり場のない憤懣を同時に感じ、切なさに囚われること
です。
他方夫は、息子の死が自分の子供の頃のいじめの行為に、端を発することを知りながら、妻には
隠して来た事実が、他ならぬその妻に暴き出されて、息を呑むと共に、自分の悪意に気づきます。
最後に描かれるのは、これを機に認知症の更に進んだ妻との変わりない日常ですが、この出来事を
切っ掛けに、夫婦の関係性は確実に変わるはずです。
もう1篇「残暑のゆくえ」は、地方の工業地帯の町で、アパートと食堂を営む再婚同士の老夫婦の
生活を妻の視点から描き、夫の日常の行動や妻の幼時の回想などから浮かび上がる、先の大戦の
敗戦時、満州からの引き揚げを巡る凄惨な体験が、この夫婦を深いところで結び付けていること
を、妻に気づかせる話です。
この場合、夫の奇怪な行動を妻が許容すことが出来るのは、妻も同様の心の闇を夫と共有している
からに他ならないと思われます。この物語の後二人の絆は、更に深まったに違いありません。
2編とも、高齢化社会に向けた老々介護の問題は言うに及ばず、夫婦関係というものが、長年連れ
添いながらも、なお不可解さを残すものであり、それはとりもなおさず、人間存在そのものが謎に
包まれたものであることを、改めて読者に示してくれる話であると、感じられました。
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