2020年10月3日土曜日

谷崎潤一郎著「痴人の愛」を読んで

谷崎の代表作の一つで、あまりにもよく知られた作品ですが、私は本書を読んで、現代社会に生きる人間と して、巷に伝え聞かされて来たほどのセンセーショナルさは感じませんでした。 勿論この作品が発表されてから、今日まで95年余りの時が経過し、その間に第二次世界大戦の敗戦や高度 経済成長、情報社会化の進展という大きな価値の転換もあって、社会における男女の役割、位置づけも かなり変わって来ているので、当たり前と言えば当たり前なのですが、むしろ悪魔的側面はあるとはいえ、 わがままで自らの欲望に忠実なナオミという女性に、現代的な女性像に内在する、一つの要素を感じたの だと思います。つまり、因習や社会的規範に囚われない、自我を確立しているという意味で。 こういう視点から見ると、彼女に翻弄される主人公河合譲治は、自身の被虐性愛的性向もあって、しかも 経済的に困窮している訳ではないので、ある意味満ち足りているようにも感じられます。従って、この物語 を愛欲の地獄に陥る哀れな男の、結末を描く話として読むのでないとすれば、そこから浮かび上がって来る のは、男女の愛情の変遷を追う物語ということになるでしょう。 15歳のナオミをカフェで見出した譲治が、彼女を自分の好みの女性にするために教育し、ものを買い与え、 当初は保護者と子供のような関係であったものが、彼女が成長して、美しい容貌と官能的な肉体を獲得する に至り、譲治の彼女への恋情は、愛情から崇拝へと変わって行きます。それに合わせてナオミの彼への愛情 は、保護者や尊敬する者に対するそれから、自分に跪拝する者へのそれと、変わって行くのです。 しかし、ここで忘れてはならないのは、このような愛情と力関係の逆転現象が起こっても、彼女もなお、 譲治を愛しているに違いない、ということです。 本書を読んでいて、私が最も惹きつけられたのは、彼に乱行がばれて家を一端追い出された後、ナオミが 悪びれるでもなく戻って来て、あの手この手で彼をじらし、誘惑する場面で、このシーンには、男女の倒錯 した愛情の駆け引きが、美しく官能的に描き出されていると、感じられました。 一見、特異な男女の愛憎の物語でありながら、それが人間の異性間の関係の普遍的な部分まで描き切って いるところに、本作品の不朽の名作たる所以があると、感じました。

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