2020年10月6日火曜日
鷲田清一「折々のことば」1942を読んで
2020年9月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1942では
人類学者ティム・インゴルドの『人類学とは何か』より、次のことばが取り上げられています。
これほど知識が溢れているのに、それが知恵
に結びつかない時代は、実際これまでの歴史
にはなかった。
確かに現代は、パソコンやスマートフォンで検索したら、知らない単語の意味をたちどころに見つけること
が出来ますし、色々なものの作り方、道具の使用方法なども、表面的には知ることが出来ます。
しかし、それは往々に一過性の知識になってしまって、右から左へと通り過ぎてしまい、後には残らないと
いう現象が、しばしば見られるように感じます。
それはすなわち、これから生きて行く上に必要な、知恵には結びつかない、ということではないでしょうか?
なぜこのようなことが起こるかというと、我々はあまりにも簡単に知識が得られるために、その知識そのもの
を軽視してしまって、またすぐに手に入れることが出来ると、安易に考えてしまうのが一つ。
もう一つは上の説に密接に結びつきますが、その知識を知恵を絞ってようやく獲得した訳ではないので、
逆説的に当の知識が知恵に結びつかない、とも言えると思います。
更には、膨大な知識が世の中にあふれていて、我々はとてもそれらを処理出来ない、ということもあるのかも
知れません。
やはり知識は、苦労して手に入れた方が生きるための知恵ともなり、更には獲得した知識を繰り返し身内に
刻み込むことによって、血肉となるのではないでしょうか?
この言葉を読んで、ついつい分からないことをパソコン等で安易に検索して、事足れりとしている自分の日常
を、反省させられました。
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