2020年7月18日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1868を読んで

2020年7月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1868では
17世紀フランスの公爵、ラ・ロシュフコーの『ラ・ロシュフコー箴言集』から、次のことば
が取り上げられています。

   情熱のある最も朴訥な人が、情熱のない最も
   雄弁な人よりもよく相手を承服させる

私は、仕事においても、その他の活動においても、よく商品の内容や自分の意志、
考え方を、お客さまや相手に伝えようとして、それが先方に十分納得の行くように、
上手く伝わっているのか、おぼつかなく感じることがあります。

何かもどかしいような、意を尽くし切れていないような、そんな時には、雄弁で立て板
に水のように話をすることが出来る人に、ある種羨望を感じることがあります。

しかし上記のことばのように、得てして弁の立つ人の話は、表面的な言葉を弄する
にとどまったり、変に情熱を感じさせず冷めていたり、同じ内容を繰り返すばかりで
あったりすることが、しばしば見受けられます。

そのような見聞から、私は、話が上手くなることは半ばあきらめ、むしろそれよりも
話す内容を整理して、先方に伝わりやすいように準備をし、また心を込めて伝える
ことに専念するよう心掛けることによって、見かけよりも実質でコミュニケーション
を図ろうと、思うようになりました。

そのため、相変わらず私の話はぎこちなく、我ながらスマートでないと感じることも
ありますが、内容や意志を伝えることを最優先に、これからも誠実に取り組んで行き
たいと考えています。

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