2020年7月14日火曜日

カフカ著「変身」新潮文庫を読んで

何年ぶりかさえ忘れましたが、再読です。先日、「絶望名人カフカの人生論」を読んで、
改めてカフカが読みたくなりましたが、まず手に取ったのがこの本でした。

初めて読んだ時には、グレーゴル・ザムザが突然虫になったという書き出しが衝撃で、
なぜそうなったかという説明もなく、また家族や周囲の人々も、その事実をすんなり
受け入れているところが不可解で、決して長くはないこの小説を、釈然としないまま
読み終えた記憶が残っています。

今回の読書では、「絶望名人・・・」でカフカが日記に自身に対して否定的な記述を多く
残していることが分かっているので、彼が自分の分身でもあるグレーゴルを、象徴的
な存在としての虫に変身させるのも理由のないことではないと、感じられました。

しかし、その変身の仕方があまりにも唐突で、しかも変身を遂げてからの物語の記述
も、沈着冷静な饒舌体で筋が進んで行くので、読者は悪夢の中にいて、一刻も早く
抜け出したい感覚に囚われます。

この小説は、カフカの素直な心情の吐露、魂の叫びから生まれたものなのかも知れま
せん。

しかしこの絶望的な物語にまだ救いが認められるのは、異形の存在である主人公の
グレーゴルと、家族の関係性においてです。彼の父は、変身した彼に憤慨し、忌み
嫌うようですが、見捨てることは出来ないと、考えています。母は、彼の姿を恐れて
いますが、間接的には気遣っています。そして妹は、彼におびえながらも、彼の世話
をしようとします。

またグレーゴルも、結局は家族にとって不利益になってしまいますが、働き手の彼を
失ったためにやむを得ず、自宅に置いた間借り人たちの家族への横柄な態度に腹を
立てて、彼らを追い出しにかかります。

つまり、最後には経済的にも、物理的にも立ち行かなくなるとは言え、家庭に異形の
ものを抱えながら、家族はその存在も含めて、暮らしを成り立たせようと努力するの
です。そこには間違いなく、家族愛があります。

また、この小説を現代の視点から見ると、介護の問題を扱った物語と思われて来ます。
家の中に介護の必要な存在を抱えて、いかにして家庭を成り立たせて行くのか?これ
は、優れて現代的な問題です。

この点について、この小説から与えられるヒントは、もしグレーゴルと家族に何らかの
コミュニケーションを取り合う手段があれば、結果はもっと良い方向に進んだかも知れ
ない、ということです。結局私はこの小説を、家族間のコミュニケーションの取りづらさ
を描いた小説と、感じました。

0 件のコメント:

コメントを投稿