2019年7月22日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1516を読んで

2019年7月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1516では
ファッションデザイナー・堀畑裕之の『言葉の服』から、次のことばが取り上げられて
います。

   「始末」とは、文字通り「始まり」と「終わ
  り」のことである。それは物の始まりと終わ
  りに、自分が生活の中で責任をもつことだ。

子供の頃には、よく親から「始末」という言い回しを使って、節約することを奨励された
ものです。

確かに今と比べて、食べ物にしても、衣料品にしても、日用品にしても、はるかにもの
が乏しく、何にしても慈しみながら、食べかつ使用していたと記憶します。

大切にすることから、節約の思想がうまれる。そして上記の「始末」ということばの解説
のように、ものを慈しむことが「始まり」と「終わり」に責任を持つことにつながるので
しょう。

そう考えるとかつては、私たち町暮らしの者でも、食事は素材を購入して、家庭で調理
するものでしたが、現在はスーパーなどで調理済みの食物を買って来て食べる割合
が増えていますし、衣類なども親のお古を更生して子供に着せることが行われていた
のに、今では使い捨てが当たり前です。日用品も、手入れをして長持ちさせる習慣が、
だんだん薄れて来ているように感じられます。

私などは、子供の頃に叩き込まれた習慣が抜けず、自分の持ち物は何でも出来るだけ
長く使わないと気が済まない方ですが、周囲を見ていると、かなり時代遅れの考え方の
ようにも、感じて来ました。

しかしここに至って、古いものを大切にするという習慣は、少しずつ息を吹き返して来て
いるようにも、思われます。例えばリサイクルという考え方は、その最たるものではない
でしょうか?

私たち和装業界のものとしては、その潮流が、伝統衣装である着物の再評価につなが
れば有難いのですが。

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