2019年7月10日水曜日

6月25日付け「天声人語」を読んで

2019年6月25日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、筆者が東京の弥生美術館
で開催された「ニッポン制服百年史」展を見て学んだ、女子学生の制服の変遷に
ついて記していて、興味を覚えました。

それによると、明治の初めは女子の通学服は着物が一般的でしたが、官立学校
はその上に袴着用を勧めたが不評、その後欧化を急いだ時代には一転してドレス
を推奨したが、浸透しなかったということです。

1919年夏、紺色のワンピースに白いエリという画期的な制服が、私立の女学校長
によって考案され、以降洋装が広がったといいます。昭和になるとセーラー服が
主流に、戦時中はもんぺ姿を強いられるも、戦後はブレザーも人気に、そして、
男女平等、性的少数者への配慮などを考慮して、近年では性別を超えて制服の
選択を認める自治体も出て来たということです。

記述を追って行くと、制服は時代とともに日本女性の服装が変化して行く様子を
端的に示す、象徴的存在であるように感じられます。

明治時代から女子の公教育が徐々に浸透して行き、学びの場に相応しいカッコ
よさ、先進性、機能性が求められて行ったのだと、推察されます。また上から強制
された袴やドレス、もんぺなどが、着用する女学生から必ずしも好感されず、本人
たちが気に入った服装が長続きしたということも、制服が風俗の象徴的存在で
あることを、示しているのでしょう。

翻って、私のような和装業に携わる者の立場から見ると、着物が洋装に比べて
機能性という部分では明らかに引け目を持つことは自明で、現代のような合理性
重視の世の中では、着用までのハードルが高いことは、この制服の変遷を見て
いても十分理解できます。

しかし服装というものが単に機能性だけではなく、その国の文化をもまとうもので
あるという観点に立つと、一般人の日常から和装が全く消えてしまうことは、大きな
損失であると、私は思います。

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