2019年7月30日火曜日

何必館・京都現代美術館「中野弘彦展ー無常ー」を観て

祇園にある何必館・京都現代美術館で、日本画家、中野弘彦の展覧会を観て来
ました。

中野は京都市立美術工芸学校で日本画を学び、その後大学で哲学を専攻した
異色の経歴を持つ日本画家で、2004年に76歳で逝去していますが、本展では
回顧展という形で、藤原定家、鴨長明、松尾芭蕉、種田山頭火の文学に触発され
て、日本人の根本的な美意識である「無常」を主題に、思想の絵画化を試みた
作品を展観しています。

私が本展に興味を持ったのは、この展覧会の副題でもある、「これからの日本画
を考える」というフレーズに惹きつけられたからで、昨今は日展などを観ていても、
日本画の展示室と洋画の展示室が隣接している場合などに、ふとどちらの部屋が
日本画で、一体どちらが洋画であるか分からなくなることがあるぐらいに、両者の
区別が曖昧になり、単に画材の違いだけが二つを分けるような状態となって来て
いるように感じられて、それでは両者を分けるものは何かという疑問が、湧いて来
たからです。

勿論、日本画も洋画も、明治時代以降に生まれた絵画を区別する呼称で、日本人
が描く絵画という点では、どちらにも日本的な要素が含まれるのは間違いないの
ですが、元来日本画にはその根本に、伝統的な美意識を継承するという意味が
あったはずで、逆に洋画には、西洋から導入した美意識を日本的に消化すると
いう意味があったと思われます。

しかし今日、両者の区別が曖昧になって来ているということは、近代化の進行に
伴って、日本人の感性が巷に溢れる表層的で、無思想的な大衆消費文化の
価値観に浸されているからではないかと、私には感じられます。

さてそのような思いを抱いて中野の作品を観ると、その絵画は決して声高には訴え
掛けはしませんが、またその表現方法は、伝統的な日本画の技法を単に踏襲して
いる訳ではありませんが、じっと観ていると何か根源的な部分で、私を郷愁に誘う
ような懐かしさを感じました。

このような日本人が本来持つ美意識を再認識させ、我々は一体何ものかということ
を問い直して来るような思索的な日本画が、このような時代にこそ、多く生まれる
環境が整えられればいいと、本展を観て切に思いました。

そのようなことを色々考えながら、エレベーターで最後の展示スペースである5階に
到着すると、扉が開いた途端に目に飛び込んで来た、この美術館の名物の天井を
円形にくり抜いた明り取りから日の光が降り注ぐ、坪庭が余りに美しく、思わず写真
を撮りました。







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