2018年8月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1212では
哲学者・武道家内田樹のツイッターより、次のことばが取り上げられています。
「存在しないもの」は文化の違いを超えて、
誰にとっても存在しないので、それがもたら
す欠落感や悔恨や恐怖や不安は共有できる。
さすがに、我々の日常の思考から一段掘り下げた地点から発せられる、説得力に
富む深い考察だと感じます。
人が生きて行く上で、「本当に大切なものは目に見えない」というけれど、私たちは
そういうものに得てして日頃は無頓着で、でもそれを失ったときに初めて、その大切
さに気づくのに違いありません。
生み出すことは前向きの思考で、喪失は振り返りの思考。とかく前を向くことばかり
求められる今日この頃ですが、このことばは顧みることも大切であると、教えてくれ
ているように感じます。
さて私たち日本人は、「存在しないもの」だけではなく、「存在するもの」、例えば
日常に愛用する道具などにも、使い込む内に心が生じると考えて来たように思い
ます。
そのような感じ方が、道具や日用品を体の一部のようにとらえ、その存在に感謝し、
なお大切に使うという思考を育んで来たのだと感じます。
西洋的な合理主義が浸透して、そんな感覚もだいぶ失われて来ましたが、それこそ
がかつての私たちの美徳の一つであったと、思われてなりません。
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