2018年9月9日日曜日

「福岡伸一の動的平衡 「人間が描く”絵空事„」」を読んで

2018年9月6日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「人間が描く”絵空事„」と題して、ルーブル美術館にあるジェリコーの有名な競馬の
絵が、正確さという点では実際の馬の動きの写真のコマ撮り画像と異なっているの
にも関わらず、それ以上に躍動感があるということから説き起こして、機械は延長を
欠いた一点としての現在しか捉えられないが、人間の知性は現在を点ではなく、
未来と過去を同時に含んだ空間として考えることができる、ということについて語って
います。

私は筆者のフェルメールの絵画の解説によって、画家が科学の黎明期にカメラの
前身であるカメラ・オブスクラを使って、自然をより遠近感を伴い鮮明に捉えようと
したということに興味を持ったので、今回の話である意味対照的な、機械の目を超える
人間の目のリアリティーに、改めて感銘を受けました。

最近はAIの発達が目覚ましく、近い将来多くの人間の仕事がAIに取って代わられる
のではないかという危惧が、かまびすしく語られていますが、上記の話は、人間の能力
の再確認にもつながると感じました。

私も含め人間というものは、地球という常に一点にとどまらぬ自転運動を続ける惑星の
上で生活し、自らの肉体もたゆまぬ新陳代謝を繰り返す生命現象によって維持されて
いるにも関わらず、いやそれゆえにか、いつも生存条件の安定や、物事を静止した
状態で認識することを嗜好する存在であるだけに、今日の身の丈を超える急激な科学
技術の発達には、強い危機感や戸惑い抱いているように感じます。

人間が本来持っている想像力を信じて、科学技術に振り回されない生活ビジョンを
再認識すべき時期に、差し掛かっているのかもしれません。

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