私は浄土真宗の門徒ではありませんが、宗教家としての親鸞には興味があります。
なぜなら彼は、キリスト教におけるプロテスタンティズムの立役者マルティン・ルター
に比肩されることもある日本仏教の改革者と目され、更に彼の創始した浄土真宗
は、現代日本の仏教界で最多の信者を擁するまでに発展を遂げているからです。
また彼の既存仏教改革の意志が体制側の反発を買い、師に当たる法然共々一時
流罪に賦されるなどその起伏に富む生涯が、私の彼の思想への関心を掻き立てる
のかもしれません。
さて本書は、冒頭に記されているように、評伝を著すにあたり親鸞本人の生涯の
記録や著作が少なく、反面親族や後継者の著述が多く残されていることから来る
解釈上の偏りや、また彼を巡る近代以降の言説の合理的な価値観に則した理解
の弊を避けるために、彼の生きた中世という時代に寄り添い、文献は本人との
距離や立場を考慮しながら、出来るだけ客観的な解釈を試みる方法が取られて
います。
それゆえ原典の記述や仏教用語が多用され、古文や仏教の知識が乏しい私には
かなり難解でした。どこまで理解出来たかははなはだ心もとないのですが、以下に
感想を記してみたいと思います。
まず最初に印象に残ったのは、中世の人間にとって夢というものが、生きて行く上で
大きな意味を持っていたということです。親鸞が法然の門下に入るきっかけとなる
六角堂の夢告は、私は従来宗派の開祖に相応しい象徴的な出来事と感じて来まし
たが、中世の人の人生における夢の比重に照らせば、彼自身の将来を確定する
必然的な出来事と納得させられる思いがしました。
私たちが合理的なものの考え方を獲得することによって失った、人間の元来持って
いた無意識の世界との親和性に、しばし思いを馳せました。
仏教の革新ということについても、彼の求めたのは既存仏教の断絶ではなく、新たな
価値を付け加えることであったと思われます。しかし彼の教義が継承される上で、
それぞれの後継者の思惑により、あるいは教団を維持するための時代による要請
が付け加えられて、更には彼の思想を援用する人間の都合の良い解釈が賦与され
て、現代における親鸞のイメージが形作られていると感じられました。
本書を読んで、宗教思想というものが人間の生の長い蓄積の中で変容を遂げるもの
であることを、強く感じさせられました。
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