2018年9月24日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1234を読んで

2018年9月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1234では
文明と接触をもたないアマゾンの先住民「イゾラド」の記録を制作して来たNHK
ディレクター・国分拓の近著『ノモレ』から、先住民の次のことばが取り上げられて
います。

  私は、今とずっと後のことだけを考えてい
  る。だから、明日の約束はできないが、百年
  後の約束ならできる

百年後の約束なんて、私たちには最も不可能な、途方もない約束のように思われ
ます。出来るのはせいぜい、息災で生きていられそうな年月までの約束でしょう。

でも我々の先祖を含め、神仏の功徳を切実に信じていた頃の人々は、後世を頼む
という意味でも、百年後の世界を思い描いていたのかもしれません。

ですが現代の生活状況に則して考えるなら、百年後の約束が出来るということは、
本当に凄いことだと思います。何故ならこの長い年月を見通せるだけの、確固と
した信念と自負を持っているということですから。

私たちは往々に、霞を通したような状態でしか予想の付かない、近い将来のことを
悲観的に考えて不安になったり、気分的に落ち込んだりします。あるいは社会の
移り変わりの激しさを達観して、肯定的な未来を想像することを断念してしまって
いるのかも知れません。

社会システムにしても個人の思いでも、人と人の善意の絆によって受け継がれ、
百年後が思い描ける環境が整うなら、それが今日のような社会でも我々が未来を
信じて生きていける唯一の方策ではないかと、このことばを読んで感じました。

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