2018年9月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1216を読んで

2018年9月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1216では
『死とはなにか』(F・シュワップ編、原章二訳)から、フランスの哲学者ヴラジミール・
ジャンケレヴィッチの次のことばが取り上げられています。

  死は生に意味を与える無意味なのです。

私は常々、哲学者とは回りくどい物言いをするものだ、と思って来ました。でも確かに
そういう思考法の方がより考えが深まり、普遍性に近づくことになるのでしょう。この
ことばも、正にそんな言葉です。

ガンジーの残した有名な言葉に、ー明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかの
ように学べ。ーというのがあります。人は限られた命であると感じる時、往々に一瞬の
生を燃焼しようと考えるものでしょうし、永遠の時があるのなら、思う存分に学ぼうと
達観するものなのかもしれません。

例えば死後の世界など存在せず、死によってもたらされるのが底なしの虚無であって
も、生きているうちに死を意識することは、その人の人生を意義のあるものにするに
違いありません。そういう点でも死は、我々にとって意味のあるものなのでしょう。

昨今は医療技術の発達や人間関係の希薄化によって、私たちにとってますます死が
見えにくいものになり、それを意識することが難しくなって来ているように思われます。
それは同時にまた命というものの尊さへの想像力をも、奪っているように感じられます。

生きることの実感を得られないということは、せっかくの有限の人生を生きて行く上で、
不幸なことだと思います。私自身もおぼつかないながらも、少しでも死や生について
考える時間を持てれば、と思っています。

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