2018年8月31日金曜日

2018年8月23日の「天声人語」を読んで

2018年8月23日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、俳優児玉清の群馬の集団
疎開先での記憶として、自分たちの東京の家が空襲で焼けたというショッキングな
先生の報告に、かえってお国の役に立ったと万歳した少年たちの異常な振る舞い
から語り起こして、筆者自身が藤田嗣治の戦争画「アッツ島玉砕」を観ての感想を、
印象深く記しています。

私もかつて藤田の「アッツ島玉砕」を眼前にして、その圧倒的な迫力と存在感に
言葉を失いました。画面を埋め尽くす夥しい数の兵士が折り重なり、入り乱れて、
凄惨な戦い、殺戮を繰り広げています。それは正に修羅場ですが、誤解を恐れず
に言えば、それでいて何か崇高な、人知を超えたような趣きがあります。つまり、
反戦、好戦を超越した、人間の所業を高所から見下ろす神の視点のような・・・。

日本の伝統絵画の合戦図、西洋の歴史画などにおける戦闘場面は数多く目に
して来ましたが、それらの名作にも引けを取らない完成度があるように感じました。

しかし同時に、藤田のこの作品がその制作の経緯から、敗戦後長く、戦争啓発画
として一目に触れないところにとどめられ、ようやく公開が実現するようになった
ことも、厳然たる事実です。

あの戦争の熱狂や混乱のさなかに、藤田がいかなる想いでこの画を描いたかは、
戦後生まれの私には想像だに出来ませんが、少なくともこの作品が単なる戦意
高揚の手段を超えた名画であり、それにも関わらず戦時中には民意を操るために
利用され、敗戦後は政治的思惑から逆に忌避されたことは、戦争というものの
忌まわしさを示す一つの証拠ではないかと、私には思われたのです。

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