2018年8月3日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1182を読んで

2017年7月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1182では
映画監督是枝裕和の『映画を撮りながら考えたこと』から、次のことばが取り上げ
られています。

  初めて取材に来た日、そこにモジモジと座っ
  ているあなたが、見合いをしたときの夫とす
  ごく似ていたの

是枝監督がかつてテレビドキュメンタリー制作のため、公害訴訟で行政と患者の
板挟みになって自殺した、官僚の妻を取材するという非常に難しい体験をした後、
その妻からこう言われて救われた、ということばです。

以上今回は、不謹慎かも知れませんが、ドラマの名場面を観るように、想像を
広げてみました。

その時是枝は、その公害問題の究明に、並々ならぬ使命感を持っていたに違い
ありません。それゆえ、自殺した官僚の妻に話を聞くことは、必須のことだったので
しょう。しかし突然の不幸に見舞われた彼女に、その傷口をほじくるような仕打ちを
することは、慙愧にたえません。実際自分がどういう権限で、彼女にカメラを向け
たり、インタビューをすることが出来るのか、という思いもあったでしょう。

そしてその後、彼女がこの時の取材者の挙措を振り返ったのが、上記のことば
です。

きっと亡くなった官僚も、誠実な人柄だったのでしょう。彼女は見合いの席で、彼の
そういうところに惹かれたのかも知れません。また是枝も、その困難な取材の場で
彼と同じような佇まいを持っていました。彼女はこの人になら、知っていることを
語ろうと決心したのかも知れません。

更には是枝自身も、このことばに、罪を許された思いを味わったに違いありません。

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