父と母の介護を通して、私も認知症と関わって来ました。それで本書を手に取ること
にした訳ですが、認知症を題材とする小説の中でもとりわけこの本を選んだ理由は、
「長いお別れ」という書名によるところが大きかった、と感じます。
というのは、本書の最後に題名の由来が語られますが、ことさら説明を聞かなくても
この言葉が認知症を表すことは一目瞭然であり、認知症のことをこのように柔らかく
表現する言葉が題名に使われている小説には、この症状に苦しむ人のことが共感を
持って描かれているに違いない、と思ったからです。
通読して期待は十分に裏切られず、私自身の経験も踏まえて、人が老いるということ
や、家族の絆について考えさせられるところが多くありましたが、私が特に心惹かれた
のは、認知症になった夫と妻並びに三姉妹である子供の関係性です。
第三者から見れば、どんどん症状が進行していく絶望的な状況で、妻は自分の名前
さえとうに忘れ去られ、自身も老化して夫の介護もままならなくなって来ても、なお夫
に愛情を注ぎ、その世話をしたいと考えます。
その理由として本書では、夫は妻の名前や結婚記念日や、三人の娘を一緒に育てた
こと、二十数年来暮らし続けて来た家の住所や家そのもの、妻や家族という言葉さえ
も忘れてしまったが、それでも夫と妻のコミュニケーションや感情の行き来は保たれて
いると、妻の独白として語らせています。
また娘たちはそれぞれに結婚して、あるいは独立して生活を築いていますが、父を
一人で世話する母親の緊急入院という非常時には、慣れない中でも献身的に父親の
介護をしようとします。そして日頃の母の苦労を知るのですが、これも親子の絆の
なせる業です。
家族の絆とは相手のことを思いやり、多少自分のことを犠牲にしても、無償で相手を
助けたいと思える関係のことだ、と本書を読んで感じました。
とかく暗くなりがちな認知症の人に向き合うことをテーマとするこの小説に、爽やかな
印象を添えているのは、冒頭の認知症の夫が孫ぐらいの年齢の見ず知らずの姉妹
に請われてメリーゴーランドに一緒に乗る場面や、最後に彼の孫がアメリカの公立
中学校で不登校になって校長に呼び出された時、日本で長く校長を務めた彼の祖父
の死をこの校長に話す場面など、死にゆく者とこれから成長する者の魂の交歓を感じ
させる部分です。
ここで著者は悠久の生命の流れをも、表そうとしているのかも知れません。
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