2018年12月19日水曜日

中島京子著「長いお別れ」を読んで

父と母の介護を通して、私も認知症と関わって来ました。それで本書を手に取ること
にした訳ですが、認知症を題材とする小説の中でもとりわけこの本を選んだ理由は、
「長いお別れ」という書名によるところが大きかった、と感じます。

というのは、本書の最後に題名の由来が語られますが、ことさら説明を聞かなくても
この言葉が認知症を表すことは一目瞭然であり、認知症のことをこのように柔らかく
表現する言葉が題名に使われている小説には、この症状に苦しむ人のことが共感を
持って描かれているに違いない、と思ったからです。

通読して期待は十分に裏切られず、私自身の経験も踏まえて、人が老いるということ
や、家族の絆について考えさせられるところが多くありましたが、私が特に心惹かれた
のは、認知症になった夫と妻並びに三姉妹である子供の関係性です。

第三者から見れば、どんどん症状が進行していく絶望的な状況で、妻は自分の名前
さえとうに忘れ去られ、自身も老化して夫の介護もままならなくなって来ても、なお夫
に愛情を注ぎ、その世話をしたいと考えます。

その理由として本書では、夫は妻の名前や結婚記念日や、三人の娘を一緒に育てた
こと、二十数年来暮らし続けて来た家の住所や家そのもの、妻や家族という言葉さえ
も忘れてしまったが、それでも夫と妻のコミュニケーションや感情の行き来は保たれて
いると、妻の独白として語らせています。

また娘たちはそれぞれに結婚して、あるいは独立して生活を築いていますが、父を
一人で世話する母親の緊急入院という非常時には、慣れない中でも献身的に父親の
介護をしようとします。そして日頃の母の苦労を知るのですが、これも親子の絆の
なせる業です。

家族の絆とは相手のことを思いやり、多少自分のことを犠牲にしても、無償で相手を
助けたいと思える関係のことだ、と本書を読んで感じました。

とかく暗くなりがちな認知症の人に向き合うことをテーマとするこの小説に、爽やかな
印象を添えているのは、冒頭の認知症の夫が孫ぐらいの年齢の見ず知らずの姉妹
に請われてメリーゴーランドに一緒に乗る場面や、最後に彼の孫がアメリカの公立
中学校で不登校になって校長に呼び出された時、日本で長く校長を務めた彼の祖父
の死をこの校長に話す場面など、死にゆく者とこれから成長する者の魂の交歓を感じ
させる部分です。

ここで著者は悠久の生命の流れをも、表そうとしているのかも知れません。

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