2018年12月29日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1309を読んで

2018年12月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1309では
書家・石川九楊の『書と文字は面白い』から、次のことばが取り上げられています。

  書が、暇をもて余した者の戯技だとは決して
  思わないが、墨を磨る暇と余裕がなければ、
  筆など執らなければよい。

書と高尚に構えるものとは全く無縁ですが、私も呉服悉皆用の渋札を書くのに
しばしば墨と筆を使います。これは加工に回す生地が、染色などの工程で紛失
したり、加工手順が間違わないように、その生地に持ち主や加工の指示を墨で
書き込んだ、和紙を柿渋の液に浸して作るいわゆる渋札を付けるためで、渋札を
使うのも、墨で書くのも、生地が加工の工程で水をくぐったり、蒸気で熱せられた
時にその札が破れたり、文字が見えなくなるのを防ぐためです。

そういう訳で渋札を書くのは、私たちの仕事の上では作業の部類に入ることなの
で、急いでいる時などには墨を磨って文字を書くことが、しばしばもどかしく感じ
られます。

しかしこの作業は、上記の理由から決して間違えてはならないものなので、墨を
磨る、筆で書くという手間がある意味、相違がないかもう一度確認をするための
時間を生み出してくれるとも感じられます。

筆を持つという行為にはある程度慣れていることもあって、字はとても上手とは
言えないので、受け取る人には迷惑かもしれませんが、私は年賀状の宛名だけ
は墨書することにしています。墨を磨り、筆で書くことで、受け手に思いを馳せ、
一年を締めくくるためには、欠かせない行為だと思っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿