2018年12月10日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1289を読んで

2018年11月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1289では
哲学者・三木清の『哲学と人生』から、次のことばが取り上げられています。

  ひとは孤独を逃れるために独居しさえする

この言葉には、自分の体験を踏まえてうなずかされました。

寂しさに取りつかれ落ち込んでいる時、多くの人が行き交う雑踏の中にいることが
帰って孤独感を助長することがあります。それらの人々から私が全く孤立していて、
自分だけ特殊な人間であるような、仲間外れの存在であるような、そんな気がして、
絶望感がいや増します。

そんな時には、隠れ家というか、誰も人のいないところに閉じこもって、他人の存在
を全く意識しなくてよい場所に一人でいる方が、救われた思いがします。

でも逆に心に余裕のある時は、自らの孤独を確認するために大勢の人がいるところ
に出てみたいと、思うことがあります。そんな場所を一人でさまよっていると、自分が
個を確立した存在であるように感じられて、ある種爽快でさえあります。

そういう風に考えると、人間は他者との関係性を通して寂寥感を感じたり、感じな
かったりするのかも知れません。

ということは、最近の私にとって、孤独は必ずしも忌み嫌うべきものではありません
から、出来ることなら心に十分余裕を持った状態で、孤独と向き合っていきたいと
思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿