2018年10月26日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1262を読んで

2018年10月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1262では
お笑いコンビ・オードリーのツッコミ役・若林正恭のエッセー集『ナナメの夕暮れ』から、
次のことばが取り上げられています。

  「共感できないけど一理あるかも」って脳がパ
  ッカーンってなるあの瞬間が好きなのにな。

この頃の日本の社会は確かに余裕がなく、ギスギスしているようにように感じます。
例えば、特に気の張るというほどでなくても他者との交流の場では、SNSなどの
影響もあって建前や正論を語ることが求められ、下手な発言をすると一斉に批判
されかねないという危機感が充満しているように感じられます。

また個人の生活態度にしても、一般にかなり厳しく公序良俗に沿った行動が求め
られ、世間の目の届く領域ではまるで監視されているようなプレッシャーを感じて
しまうことも、ままあります。

どうしてこんな事態になってしまったのかは定かではありませんが、私は一つには
私たちが社会的な自由という場に放り込まれながら、本当の自由の意味がよく
分からず、戸惑っているからではないかと、推測します。

自由に振舞いたくてもどう振舞ったらいいか分からず、逆に他者の身勝手な言動に
は神経を研ぎ澄ます。今度は自由を装おうとして度を越してしまい、他者から非難
を浴びせられ怯えることになる。この悪循環がますます社会を窮屈なものにしている
ように感じるのです。

一見ダメなことも、バカなこともある程度許容される社会、その方が遥かに豊かです
し、私たちは与えられた自由の意味をもう一度噛みしめる必要がある、と感じます。

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