2018年7月25日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1175を読んで

2018年7月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1175では
評論家三浦雅士の『孤独の発明』から、次のことばが取り上げられています。

  自己認識とは大なり小なり自分を騙すことな
  のだ。

とても刺激的なことばです。なぜなら、私たちの大多数が、生きていく上での拠り所
としているはずの自己認識が、自分の思い込みや自分の心を偽る思考の所産で
ある、と語られているのですから。

そして私は次に続くことば、ー商業とは、騙されるのを覚悟で「信用」しあうことー
に強く反応しました。

確かに商取引というものは、互いを信用し合う故に成り立つ行為です。特に初めて
の取引の場合、お客は、これから商品を購入する予定の店が間違いのない品物を
提供するのかどうか、確証はないけれど、その店をとりあえず信用して、品物を購入
することになります。

他方店の方も、そのお客が取引形態にもよりますが、代金の支払いなどという点で
信用のおける人かどうかという確証のないままに、商品を納めることになります。
その結果両者が十分に満足出来れば、良い商取引が成立したということにんるで
しょう。

特に私たちの店でも最近増えて来ている、直接に面識のないお客さまとのメールに
よるやり取りでの商品の販売は、お互いの顔が見えないだけに、大変気を使います。

いずれにしても、商売というものが信用によって成り立っているということを、上記の
ことばから、改めて肝に銘じました。


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