2018年7月16日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1166を読んで

2018年7月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1166では
「カーサブルータス」オンライン版のインタビューから、翻訳家寺尾次郎の次のことばが
取り上げられています。

    そのわからなさを持ち帰って自分の中で時間
    をかけて咀嚼してくれたらなと思います。

私自身、映画館で外国映画を観る時には、断然吹き替え版ではなく、字幕がいいと
思っています。

なぜならまず、たとえセリフの全てを把握することが出来ないにしても、演じる俳優の
声、話し方を映像と共に捉えることが出来るので、映画全体の雰囲気を視聴覚一体と
して味わうことが出来る、と感じるからです。

これが家庭のテレビでの視聴だったら、必ずしも字幕にこだわりません。いや逆に
吹き替えの方がリラックスして観られて助かったりします。テレビで映画を観る時は、
あくまで気安さの意識が抜けないのかも知れません。

また、映画の字幕の楽しみは、これこそ上記のことばの内容に通じますが、セリフを
ぎりぎりまで凝縮した上で提示されている、言葉書きの意味を解釈したり、類推する
ところにあると思います。

その例として今私が思いつくのは、ある映画でこれからユーモラスな落ちが準備
されているワンシーン手前で、提示された字幕の文字に忍び込ましてあるヒントから、
私がその落ちを予想して思わず吹き出してしまいそうになった時、周りの観客は
まだ誰も気づいていないので、必死で笑いをこらえた時の可笑しさなどです。

いずれにしても、映画の字幕作成という作業は、とてもクリエイティブな仕事だと
感じます。

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