著者の広い読書体験に裏打ちされた、また鋭い洞察を含む、文芸、社会批評は
兼ねてより私に強い刺激を与えてくれました。また彼が朝日新聞紙上で文芸時評
を担当していた時には、しばしば私の読書の指南役にもなってくれました。
それで本書も手に取った訳ですが、加藤が各媒体で発信、掲載した3つの時期の
時評、季評を載せた第一部は、一期が1989年から1990年のバブルの全盛期、
二期が1993年春から1995年秋の湾岸戦争の戦後期、三期が2006年から2008年
の本書が出版された直近の時期と、約20年間の我が国の文芸の動向を大きく
俯瞰する仕立てになっています。
第一部を読んで、著者がそれぞれの時期に誰のどんな小説に興味を示し、その
作品をどのように批評しているか、それが私も読んだものであるなら、私の抱いた
感想とどのように切り結ぶか、というように、個々の時期を思い浮かべながら懐か
しい時間を過ごすことが出来ましたが、本書の特色である文芸界の全体の動き
という観点から見ると、大江健三郎、安部公房という一時代を画した作家から、
村上春樹に代表される新しい書き手にその人気が移行する様を表している、と
思われます。それは同時に時代の移り行きに従って、小説家が作品に問題意識
やリアリティーを籠める方法も変化して来ているということです。
さて以上の前提に立って第二部では、3編の文芸批評が記載されています。
「大江と村上」では、大江と村上がそれぞれの時代の文芸界を代表する存在と
して互いの仕事を牽制する関係にありながら、実際には両者の文学には共通点も
多いことをスリリングな方法で読み解いています。私にはその当否は判断出来ま
せんが、少なくとも2人が最も的確にそれぞれの時代の空気を体現する作家である
と考えるので、作品の相貌はまったく違えど、通底する部分があることに驚きは
ありません。
「『プー』する小説」「関係の原的負荷」は、現代社会において、本書が出版されて
から後の約10年間でさらに進行ししていることですが、益々人と人の関係が希薄に
なり、その結果疎外感が深まり、孤立する個人が増加する状況で、文学はどのよう
な方法でこの問題を捉え、解を求めて行くべきかを考察しています。
本書を読んで文学の力に改めて気づかされると共に、この本に書名が挙がるまだ
私が読んでいない大江と村上の作品を、是非読んでみたくなりました。
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