2018年11月5日月曜日

美術館「えき」KYOTO「渡辺貞一展」を観て

画家渡辺貞一の名前は知りませんでしたが、告知ポスターの「フラメンコの女」と
いう絵に惹きつけられて、展覧会を観に行くことにしました。

国画会で活躍した画家ということで、私は公募展では主に日展の洋画部しか観て
いないので、日展のオーソドックスさとは違う表現に期待が膨らみます。ちなみに、
国画会が出来て今年で90年だそうで、本展はそれを記念した催しでもあり、また
青森出身である渡辺の作品を京都在住のコレクターが蒐集し、青森県七戸町に
寄贈したという経緯から京都開催の運びとなったようで、この地で本展に巡り
合った縁のようなものも感じました。

さて会場に入ると、冒頭の「自画像」からただならぬ不穏な気配を感じました。
通常若い頃の画家の自画像は、これから名を成そうという本人の気概や自負心
が見て取れて、意気軒高としたたたずまいのものが多く見受けられますが、この
作品は憔悴して鬼気迫る雰囲気があります。

作品の説明によると、吐血して生命の危機を感じた時に、その自身の姿を描き
留めようと筆を執った絵ということで、しかもその画を以降常にアトリエに飾って
おくと、心が落ち着いたと本人が述懐していることからも分かるように、渡辺は
「死」と「生」を身近なものとして結び付けて、絵画に表現しようとした画家だった
ということです。

この創作姿勢は、本展に展観されるほとんど全ての作品に現れていて、少年少女
にしても、花にしても、風景や後年の人物にしても、主題が漆黒を思わせる闇の
背景からほのかに浮かび上がり、深い精神性を感じさせます。

また深々とした暗闇の黒と対比される、白や赤やブルーの色彩がとても鮮やかで、
観る者を幻想的な世界に誘います。重厚でありかつモダン、独特の洗練された
表現に魅了されました。

この画家の雪深い北国の出自からにじみ出たと推察される、作品の中の決して
妥協を許さぬ内省的な部分も私には新鮮で、本展を訪れていいめぐり逢いをする
ことが出来たと、しみじみと感じました。

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