2018年11月20日火曜日

「呉座勇一の歴史家雑記 「ドラマ「真田丸」の妙」」を読んで

2018年11月13日付け朝日新聞朝刊、「呉座勇一の歴史家雑記」では
「ドラマ「真田丸」の妙」と題して、脚本・三谷幸喜のNHK大河ドラマ第55作「真田丸」
が、主人公・真田信繁(堺雅人)の幼なじみ・きり(長澤まさみ)を現代的な価値観の
人物に設定することによって、巧みに視聴者の感情移入を誘う仕掛けを有している
ことについて、語っています。

私も「真田丸」は、年間通して楽しみました。三谷脚本の歴史ドラマは、底に喜劇的な
面白味があり、登場人物のキャラクター解釈もユニークで、長丁場でも決して視聴者
を飽きさせない魅力があります。

ところで、歴史家としての視点からの筆者のこの指摘に、私ははっとさせられました。
というのは、私はこのドラマを観ていて、きりが、信繁が例え切迫した状況に置かれ
ている時でも、いや、そういう事態の時には余計に、自己主張を通す空気が読めない
女性、性格の悪そうな女性と感じていたからです。

しかし筆者の指摘するように、ドラマのストーリーの流れを脱して、大局的な見地
からきりの言動、振る舞いを見ると、確かに彼女の価値観は現代的かもしれない、と
思い当たります。

私は知らず知らずのうちに、ドラマの中の信繁に感情移入していて、彼の視点と
思しきところから、きりを批評していたのでしょう。その時点で物語の術中にはまり、
その落ち込んだ底から、現代的な価値観を評価していたということは、二重の
レトリックに囚われていたことになります。

つまり、この三谷脚本の歴史ドラマは、風刺的な現代社会批評にもなっている、と
いうことが言えるのでしょう。なかなか、一筋縄では行きません。

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